日本で唯一の運河の旅紹介・案内サイト アドバンティス
ミディ運河 (出典:Les Guides Fluviaux EDB Vol.07)
ミディ運河の歴史
大西洋と地中海を結ぶ運河の最初の計画は16世紀に立てられました。フランソワ1世の下で検討され、続くシャルル9世、アンリ4世、ルイ13世の時代にも引き続き討議が交わされましたが、かかる経費の膨大さや、運河に供給する水の確保が技術的に難しいことから、計画は前に進みませんでした。
1642年にブリアール運河が掘削され、2つの渓谷を人工の運河で繋ぐことが可能だと証明されました。その完成後、ベジエの塩関税徴収官Pierre Paul Riquetポール・リケはボンルポ地方の男爵となり、この新運河を研究するため、生まれ故郷(フランス南西部)を出てブリアールに赴きました。
1663年、リケはトゥルーズのアングリュール大司教を伴ってヴェルサイユに赴き、かの有名なコルベール財務相に面会して、【2つの海を結ぶ運河】プロジェクトを提案しました。大司教の口ぞえもあってコルベールの説得に成功し、次いでコルベールがルイ14世に運河の有効性を説きました。リケは、黒い山(Montagne Noir)から流れ出る幾筋もの流れにより運河の最高地点で水を供給すれば、運河の水供給問題を解決できると皆を説き伏せました。
リケはこのプロジェクトの成功を微塵も疑わなかったので、ローラゲ平野を横切りノルーズに向かう水供給のための溝の掘削費用を彼自身で負担することさえしました。コルベールは独自にこのプロジェクト検証するために人を集めました。ブリアール運河の発案者の一人に名を連ねる ブテロー氏や、若いアンドレシー技師などです。アンドレシー技師はミラノ近郊の マルテッサーナ運河でレオナルド・ダヴィンチの設計したロックを研究してきていました。
リケが掘削した水供給溝はうまくその役割を果たし、1666年フランス王家により運河建設プロジェクトは承認されました。
建設工事の始まり
1667年4月、サンフェレオールに最初の石積みが設けられ、同年9月にトゥールーズで最初のロックの建設が始まりました。
リケはいろいろ注文を付けましたが、最初のトゥールーズ~トレブ区間はたった5年間で完成をみました。
リケが変更を要請したのは、例えば、既に完成していた最初のいくつかのロックを壊し、ロックの上流と下流の高低差を減らすとともに楕円形ロックに作り直すことでした。こうした細かい点にまで注意したことにより、運河は開かれたときから数世紀を経て、今なお使われ続けることができるのです。
1672年トレブ~セートの第二区間の工事には、更に困難が伴いました。急流が多く流れこむ難しい土地で、工事費がかさみ、計画は遅れに遅れました。様々なルートが検証されますが、リケの才能を証明するかのように、彼はオード川左岸の最も難しく見えるコースを選ぶのです。このコースであれば、川の増水時も運河は影響を受けずにすみます。リケの子孫は、ミルグランド、サンジュリアン、ドゥジョンを切り開いて運河を掘削するために、それまでのいかなる戦争に使われたより大量の火薬が使われたと指摘しています。
リケ、プロジェクト反対者に対峙する
リケを誹謗する声は日々高まり、プロジェクトは技術的にも資金面でも難題に突き当たりました。親友コルベールさえリケから距離を置き、宮廷から人を遣わして工事の進捗具合を監督し、金の流れをコントロールし始めました。リケとしては、監視されているようでこの人々になじめませんでした。そしてリケが アンセルヌ山裾のコースを選択したことで、対立は抜き差しならないものとなりました。リケは自分の意見を引っ込め、工事は中断され、今後の対策を協議するための使いがパリの王の下へと急ぎました。その時リケは、アンセルヌ山にはモンタディ池に水を集めるための細い地下導水路が穿たれていることに気づきました。勇気がわいてきて、リケは工事人夫をそこに集め、新しい地下導水路を掘り、運河も山を貫けることを証明しました。1679年にトンネルを掘り始め、1680年には完成しました。こうしてリケは故郷ベジエに向かって更に運河を掘り進めていきます。地形も平坦となり、運河の掘削も楽になり、次第にトー湖に近づいてゆきます。しかし敵対者からのストレスにさらされ続けたリケは疲労困憊して、運河の完成を待たずに1680年没しました。運河の完成わずか6ヶ月前でした。
運河の完成
運河は1681年に完成して水が供給され、以来3世紀を越えて休みなく使われ続けています。この3世紀の間に手直しされた部分もありますが、運河のほとんどは現在も完成時のままの姿です。リケの資金が底を付き始めた頃に少ない予算をやりくりして作られたロバの背橋は今も現役です。目につきにくいけれども見逃せないのは、運河の途中で出会う何箇所もの水道橋、給水口、排水口などです。クルーズの際には忘れずごらんになってください。